臨床例

うつ病 2010.03.22

うつ病はあらゆる原因からなる可能性があります。産後うつ、術後うつ、いじめ、過食、看護疲れうつ、勉強のしすぎ、暴力、勤勉、薬の飲みすぎ、など原因は多岐にわたっています。

 

昔、うつ病のことを精神病といっていましたが、精神の語句を分解すると、精とは精液の精でこれは腎臓系統から生成されるもので腎臓系統を意味します。神とは最高の位にあるもので人間の身体では心臓系統が神にあたいします。うつ病は腎臓系統と心臓系統が病んだときの病という意味で精神病と名付けたのです。

 

現実には、うつ病になると腎臓系統、心臓系統をはじめとして、肝臓系統も膵臓系統も肺臓系統もすべてバランスが崩れて、精神的な感情はもとより肉体的にもあらゆる症状が出てくるのがうつ病であります。


■産後うつ

 

35歳、主婦

 

14歳になる息子がいるのだが、久しぶりで女の子が生まれた。産後3ヶ月を過ぎたころから、食欲不振、不眠症、台所仕事が出来ない、不安感、身体のだるさ、が出始めた。

 

無理をして、なんとか家事をこなしていたのだが最近では、もうどうしょうもないくらい疲れきっている。眠れない、食欲がない、だるい、そんな状態の中で赤ん坊は母乳しか飲んでくれない、夜泣きする、泣き止ますために抱っこする、夜中にオムツの取替え、旦那と息子の食事、洗濯、息子の塾の送り迎え、乱れた髪に、青白い顔色、やせ細った身体、憔悴しきった動作、うつろな眼、旦那も心配になるのだがどうしょうもない、やたらに「食べろ、夜はぐっすり寝ろ」と怒鳴るばかり、それが出来ないから困っているのだが、旦那にはわかってもらえない。

 

そんな状態の中で、子供さえ生まなければこんなことにはならなかったのに、という思いが日増しに強くなり、しまいには子供を殺したいと思うようになった。

 

治療

 

まず、けんかして行き来のなかった母親に話して、泊り込みでお手伝いに来てもらった。旦那にも、奥さんの状態を理解して手伝いをすること、話を聞いてあげるやさしい態度で接することを説明した。息子にも自分で出来ることは自分でするように説得、赤ん坊のめんどうをみる手伝いをするように話した。

 

家族が総力をあげて取り組まないことにはこの問題は解決しないことを話し合った。この患者は鍼灸治療6ヶ月かかったが、なんとか完治することに成功した。

 

考察

 

お産という女性にとっては最大の難関を乗り越えるときに体力はひどく消耗する。退院後から、養生もないまま、すぐに赤ちゃんの世話にとりかかった。夜泣き、オシメの交換、泣き止ますための抱っこ、授乳、などにより夜は安眠できない状態がつづく。その上、昼間も家事一切の仕事を切り盛り、息子の塾の送り迎えと多忙を極めた。このようなときに不眠が加わると内臓系統のバランスは一気に崩れる。そんな状態の中でも無理して仕事をこなしているとうつ病となる。

 

鍼灸治療をしながら、母親の手伝い、旦那と息子の協力、家族が総力をあげて奥さんを擁護した体制を作り上げた事が、大変良かったと思われる。


■会社うつ

 

45歳、男性、中間管理職

 

人事異動で、上役に一番嫌いな人がいる部署に配属された。その上役もこの男性を眼の敵にして、怒鳴ったり文句を言ったりする。あまりにもひどい仕打ちに、思い余って別の上役に相談してみたが、配属されたばかりだし、その上役はみんなが嫌っているため、変わってくれる人がいないという返事であった。

 

真面目な性格で、仕事も几帳面にこなして、会社では重要な部署を任されていた。正確で手早く仕事をこなすことから、上役はどんどん仕事を押し付けてきた。残業しても間に合わないぐらいの仕事量である。それが間に合わなくなると上役は怒鳴り、文句を言った。上役と部下との間に挟まれて人間関係にも悩みが多かった。

 

毎日いやだいやだと思いながら出勤していたが、そのうち会社に出勤する時刻になると気分が悪くなり、嘔吐するようになった。夜は熟睡できず、夢ばかり見て、チヨットした物音にもビクッとして飛び起きるようになった。なんでもないことが不安になり、心臓はどきどきする、会社にいけなくなってしまった。

 

病院で精密検査を受けると胸椎9番の骨に異常があるといわれた。そのレントゲン写真を持って会社に行き長期休暇「6ヶ月」を認めてもらった。そんな時期に鍼灸治療でなんとかならないものかとやって来たのだった。

 

治療

 

まず、6ヶ月の長期休暇があるのだから、精神的にリラックスして、会社のことは考えないように説得した。鍼灸治療を始めると、だんだんと夜が良く寝られるようになってきた、それと同時に不安感、心臓のどきどきもなくなり、だいぶ安定してきた。

 

1ヶ月に1回、会社の呼び出しがあり上役3名と面談することになっている。その日に面談をしてくると具合が悪くなる。3回目の面談のとき、あのいやな上役だけが面談の相手だった。散々いやみを言われて帰ってきた。その日から1週間ほど元の悪かった状態に戻った。4回目の面談のとき、別の上役に会社復帰したときには、別の部署に配属してくれるよう懇願した。しかし、上役は部下のわがままとしか受け取ってくれず、相手にされなかった。5回目の面談のとき再度、別の部署への配属をお願いした。どうしても部署を変わりたかったら中間管理職から平社員になって出直す覚悟があるのなら部署を変えても良いということであった。給料は3分の2に減るがそれでも良いかと言われた。

 

6ヵ月後、会社復帰した彼は喜んで平社員になった。仕事の量も少なくなって今では元気で毎日会社に出勤している。

 

考察

 

中間管理職という職責の中で上と下に挟まれた人間関係が彼には重荷であったと思われる。とくに上役の無理解と横暴がよけい彼を追い込んで行った。そこに残業しても追いつけないほどの仕事量が過労となり体調を崩している。そんな時、夜の不眠症が加わると腎臓系統、心臓系統を中心に内臓全体のバランスがくずれうつ病となる。6ヵ月後、彼は思い切って平社員に戻り、責任も仕事量も減った状態の環境を得たことが、復帰につながった。


■看病疲れうつ

 

61歳、女性、主婦

 

子供のころから病気らしい病気はしたことがなく、趣味のサークルでも、いつもみんなを引っ張ってゆくリーダーであった。陽気で、世話好、おしゃべりも大好き、生活にはまったく困ることもなく、愛する旦那と2人で悠々自適の生活を送っていた。

 

そんな時、旦那が癌になった。1年2ヶ月献身的な看護をした。病院に泊り込んで夜中でも痛い、痛い、という旦那の身体をさすって看病する日が何日も続いた。旦那が死亡する少し前から、自分の状態がおかしくなってきた。胸が苦しくなり、不安感が強く、夜はほとんど寝られない、身体はだるく、考えがまとまらない、何をする気力もない、人前に出るのがいやになった。

 

旦那の葬式と49日が終わっても別人のように気力がない。そんな時期に鍼灸治療を受けに来たのだった。

 

治療

 

愛する旦那の死亡ということでひどくショックを受けていた。立ち直れないほどの精神的ショックで話をするたびに涙を流していた。治療をしながら話しを、出来るだけ聞くようにした。患者の心を自分の心として受け止め、同じように悩んだ。

 

家族の者は息子夫婦が心配して、泊り込みで奥さんの相手をした。家事一切を嫁が切り盛りして、息子は会社から帰ってくると奥さんの話し相手をした。

鍼灸治療をしているうちに少しずつ安眠できる時間がながくなり、4ヶ月後にほぼ完治することが出来た。その後、1ヶ月に1回づつ3回ほど来院したが問題なく、完治となった。

 

考察

 

愛する旦那がだんだん死に近づいてゆく中での看病で、精神的ショックが大きかった。病院では痛がる旦那をさすったり、寝返りをさせたり、看護婦を呼んだりする。それが夜中に痛がることが多く、寝ることが出来ない。うとうとしていると看護婦さんが定期巡回といって2時間おきに回ってくる。そのつど起きていると、眠りが浅くなり、やがて眠れなくなる。このような悪循環が内臓の疲れとなり、うつ病になったものと思われる。

 

幸いにも家族の者が献身的に協力して生活面、精神面のサポートをしてくれた。4ヶ月でのほぼ完治は全体的な環境の良さが大きく影響してくる。


■手術後うつ

 

70歳、男性

 

6ヶ月前に心臓の手術をした。朝起きて仕事をしているときに心臓が苦しくなってきた。急いで家内に救急車といって、気を失ってしまった。救急車で病院に運ばれ、緊急手術となった。その後なんとか元気になって帰ってきたが、動悸、倦怠感、不安感、疲れ、息切れ、声枯れ、眼の疲れ、手足のしびれ、食欲不振、不眠、がありその中でも精神的な不安感が大きいという。杖を突いて玄関に入ってきた姿は、ひどく弱々しく、顔色は青黒く、声はかすれてよく聞き取れない状態であった。退院する時、医者は、あの時は絶対助からないと思ったがなんとか命を取り留めたのだから、命を大切にして下さいね。といって帰してくれた。

 

子供のころから運動が好きで、健康だけが自慢だった。心臓を手術するまでは、山で八朔を作っており、評判の美味しいみかんで、よく売れていた。

 

手術をしてからはまったく健康に自信がなくなり、仕事も出来ず、毎日、8種類の薬を飲んでぶらぶらして過ごしている。何時も心臓がドキドキして来ると、死ぬかもしれないという不安感がつよく、ふさぎこんでいる。

 

治療

 

弱った身体に毎日8種類の薬を朝、昼、晩と飲んでいる。あまりにも多すぎる薬に少し減らすことは出来ないものですかと聞いてみた。医者がこれだけはどうしても飲んでくれと言われているから、辞めることは出来ないと言う。うつ病は内臓の復調が完治するのに大きく影響してくる。これだけ大量の薬を飲んでいては薬の副作用で、何時までたっても内臓が良くなってこない、困ったものだ。何らかの必要あってこれだけの薬を処方しているのであろうから、うつ病の完治はなくても、少しでも楽になるよう、治療することにする。

 

鍼灸治療、初めのうちは1週間に3回、2週間ほど治療して、だいぶ安定してきたので、現在では、1週間に2回の治療している。鍼灸治療を行なうと帰りには不安感も取れ、気分が爽快になるという。治療した日は良く眠れるし、2,3日は気分が良いので畑仕事もしている。治療を休むとすぐに悪くなるので1週間に2回の治療はどうしても止められない。

 

鍼灸治療を始めて現在、1年3ヶ月が経過している。今では元気で、野球を見に行ったり、畑仕事をしたり、一見してどこも悪いところがないような、元気で日常生活をしている。

 

考察

 

よほどひどかった心臓手術で命が助かったことを考えると、心臓機能が健康なときに比べて半減かまたはそれ以下になっている状態ではないかと思う。

 

その状態を維持するため8種類の薬を朝、昼、晩、3回飲んでいる。

 

このことを考えると、とても内臓の完全復調には戻れない。しかし、薬を完全に止めることが出来れば、かなりの復調は望めると思うのだが、薬に関しては横から指図して、困ったことになってもいけないので、薬はそのまま継続にする。

このような状態の中で、完治は出来なくても、現在の元気な体調は、合格点かと思う。


■勤勉うつ

 

32歳、女性

 

真面目な女性で、役所勤めをしている。人事異動で健康保険課に配属になった。人間関係もよく、周りの人たちとも仲良く仕事をしている。最近、家を新築して引越しに忙しい日を送っていた。それと人事異動が重なって、仕事を覚えるのに苦労した。3歳になる子供が病気になるので、その看病で寝られない日があった。その程度で、とくべつ過労があったわけでもない。ある日、健康保険課にうつ病の相談をしに来た人がいた。その人の状態を細かく聞いているうちに、ふと、自分もそうでないのかと思い始めた。

 

そのように思い始めると、急に心臓がドキドキして、不安感が一気に出てきた。倦怠感、やる気もなくなり、受付でいることが怖くなってきた。その日から不眠症も出てきて、眠りが浅く、チヨットした物音でもすぐ眼が覚めてしまう。

 

役場の窓口では、いろいろな人が相談に来る。なかでもうつ症状の人が来ると応対に出るのが怖くなってしまった。

 

毎日、役場に出勤するのが怖くなり、上司にこのことを相談すると2ヶ月の特別休暇を認めてくれた。

 

治療

 

この人の場合、家族も思いやりがあり、あたたかい家庭であった。役場の人間関係も良好で、上司にも仲間にも好かれる性格をもっている。考えられることはあまりにも、くそ真面目で、なんでもきっちりやってしまわなければ気にかかるという性格があった。もう一つ、人の言うことを自分のことのように思い込む、暗示にかかりやすい性格を持っていた。

 

鍼灸治療は夜が安眠できるようにすることと、心臓系統の弱りを補って、不安感を取り除くような治療をした。治療中にいろいろな話もした。

 

この女性は、自分の心の中を話すことによって、気分がとてもよくなる。「先生から大丈夫です」と言われるだけでどんどん良くなっていく感じがする、と言っていた。

 

薬が嫌いで初めから、化学薬品系統はまったく飲んでいなかった。これも大変よかったことと思うが、治療開始から3ヶ月で完治している。その後、妊娠して出産、現在は2児の母親として元気に役場勤めをしている。

 

考察

 

真面目な性格の人はきっちりやらなければ気にかかるという性格を持っている。忙しい生活の中で、気にかかる部分が積み重なり、知らず知らずの内に、心の負担となって内臓系統のバランスを崩しやすい状態にあったのではないだろうか。

 

そんな時、うつ病の人と話をして、その深刻な内容が恐怖観念となって、自分の中に入ってくる引き金となった。

 

しかし、薬はまったく飲まない、家庭や職場内に理解者が多く環境はとてもよい、などの条件も幸いして、鍼灸治療の効果もスムーズに浸透してきたものと思う。


■更年期うつ

 

54歳 女性

 

3年ほど前から精神的な安定感がなくなり、チョッとしたことでイライラしたり、旦那の顔を見るだけでも腹が立ったりしていた。1年ほど前からは不安感が襲ってくるようになり、だるさ、やる気のなさ、人と顔を合わすのがいやになり出した。ちょっとした言葉にも傷つき、閉じこもるようになってきた。なんでもないことを考え始めると寝られなくなり不眠症になった。あの嫌な旦那がいるから自分がこうなったのだと思い込み無理に頼み込んで離婚してしまった。ところが、いざ離婚してしまうと寂しくて寂しくてじっとしていられない。旦那は大工さんなので、仕事場に手伝いに行ってよいか尋ねたところ、こころよくOKしてくれた。最近は週に1回、旦那の仕事場に手伝いに行っている。

 

旦那も彼女のこのような身勝手な振る舞いが、病気から来ていることをよく理解していて、大きく包み込んでいる現状であった。

 

治療

 

更年期症状からくるうつ症状の人は、女性ホルモンの衰退によって他のホルモンとのバランスが崩れ、からだ全体の調子が狂っているのです。しかし、このバランスの崩れも2,3年すると身体が慣れてきて、やがて回復してきます。普通は2,3年ですが人によっては長引く人もいます。不安感が最大の不安定要素なので、これが現実になくなることを実際に証明してあげます。

 

まず、治療前に、「今、不安感がありますね、その不安感を今から知熱灸をして取り除きますから、その不安感を覚えておいてください」と念を押して確認させておきます。

 

胸椎の4番、5番、の正中線上が治療点ですから、そこに知熱灸をすえます、ここは心臓系統に出ている神経の出口にあたり、心臓病治療の特攻穴なのです。

 

ここに知熱灸をすえると、今まで不安感でいっぱいだった胸がスーッと軽くなって、みるみる不安感がなくなってしまうのです。

 

どうですか不安感がなくなったでしょうと尋ねると、狐につままれたような顔をして「ほんとだ、不安感がなくなっている」といっぺんで信頼してくれるようになります。

 

「不安感があっても、こうやって知熱灸をすえると、必ず不安感は取れるのですから何も心配することはないのですよ」と言って、いつでもこの不安感は取り除くことができるのだという自信を持たせてやります。

 

不安感が克服できるという自信がつくと病状は良くなってきます。何回か治療すると病状は改善され普通の奥様のようになります。

 

ところがホルモンのバランスの崩れ、そのものが治ったわけではありませんから、2,3年ぐらいは、しばらくするとまた病状が復活してきます。

 

今、当院に来ている更年期障害のご婦人は治療すると1ヶ月くらいは良い状態で過ごす事ができます。悪くなるとすぐに3,4回治療することによって又、1ヶ月は持つことができます。

 

このような方法で2,3年経過するとやがて、更年期障害そのものが起きなくなってきます。

 

考察

 

更年期障害は起きる人と、とてもきつく起きる人、その反対に、まったく起きない人、など人によってさまざまです。体質、食生活、性生活、などさまざまな要因が重なってホルモン異常が起きてくるものと思われます。

 

多くの症状に振り回され、化学薬品を多用する人は、本物のうつ病になってしまう人もいるようです。

 

ホルモンのバランスが崩れていても、内臓が悪くなっている人は少ないので、何年かすると必ず良くなることを信じて生活しましょう。

 

肉や油物、卵、牛乳などは控えてください、狭い囲いの中で飼っていますので、伝染病になりやすく抗生物質をはじめ、あらゆる薬を餌に混ぜて食べさせています。

 

買ってきた物は、腐らせない為に防腐剤をはじめ、あらゆる食品添加物が入っています。

 

食生活で安心できるのはなんといっても、自分で作ったものです。

野菜、海草、穀物、小魚、などを自分ところで調理したものを食べてください。

納豆、キムチ、ヨーグルトなど善玉菌微生物で変化させたものは、とてもよい食品ですから大いに取ってください。


■いじめうつ

 

男性 37歳

 

高等学校を卒業して自衛隊に入った。毎日の訓練に耐えて3年半経過したころ、上官でとても厳しい人が配属になってきた。その人に毎日、訓練のときに人より余計、居残りをさせられ、ときには殴られたりした。それでも3ヶ月ほど何とかがんばって踏みとどまっていた。

 

ある朝、出勤するとき、急に気分が悪くなり、心臓がドキドキして吐き気を催し、倒れてしまった。

 

その日を境に、朝、出勤する時刻に「いやだなーと思い始めると気分が悪くなってくる。これは気持ちの問題だから、何とか克服しなければと思うのだが、どうにもならない」宿舎で休んでいると、あのいやな上官がやってきた。ずる休みと思い込んでいる上官は、大声で怒鳴り、散々文句を言って帰っていった。出勤しても怒鳴られ、宿舎でいてもやってくる。逃げ場のない状態の中でとうとう本格的なうつ病になってしまった。

 

部屋から外に出ることは全くできなくて、部屋を暗くして閉じこもるようになってしまった。自衛隊の軍医が診断してうつ病と認定された。その後自衛隊を除隊、精神病院に入院して何とか良くなったが、完全には治りきらず。17年経った現在も時々入退院を繰り返している。

 

治療

 

30歳になったころ友達に言われて鍼灸院を尋ねてきた。その頃は、うつ病になってから10年経過しており、化学薬品を浴びるほど飲み続けている。現在も7種類の薬を1日3回飲んでいる。その薬は止められないですかと尋ねると「薬を止めたら、僕はバカになってしまうのです」と先生に言われたまま、信じ込んでいる。こちらも薬に関しては分からないので、全部止めたほうが完治する可能性は高くなるのだが、と思いつつもそこまでは言い切れない。薬に関してはそのまま飲み続けてもらい鍼灸治療を開始した。

 

その頃の症状は、寝つきが悪い、眠れない「1日2~3時間」、不安感、身体がダルイ、やる気がない、心臓がドキドキする、過食症、「身長173センチ、体重105㎏」頭がボーットする。このような症状であった。

 

まず1番の主訴である不眠症を治すことにした。

 

夜中に休む時間になると、ふつうは交感神経は弱くなり、代わりに副交感神経が優位となって安眠できる状態となる。ところが不眠症の人は交感神経が異常興奮しており夜中でも休まずに活躍するのである。本人は寝ようとするのだが、交感神経が昼間と同じ状態で活躍するのでまったく眠れない。これが不眠症の現状です。

 

鍼灸治療では、この交感神経に大きく関係している、背中の太椎と、胸椎1番を治療します。アレルギー性過敏症のように神経がピリピリして、昼も夜も一時の休みもなく神経過敏になっている。ここに接触鍼という鍼をすると、過敏症がきれいになくなります。その後、知熱灸をして補っておくとその夜からぐっすりと眠れるようになるのです。

 

不眠症の治療をしてから、本治法という全体的な内臓のバランスをとる治療をして、不安感を取り除くようにした。

 

このような治療を3回ほどしてたところかなり安定してきた。その後、本人が治療に来たいときは自由に来るようにした。何日に来なさいと言うとそれが又、負担になる。

 

その後、7年にわたって鍼灸治療を受けに来ているが、最近では1ヶ月に2、3回治療に来ている。完治はしていない。

 

しかし、最近では入院することがなくなり元気で一人暮らしをしている。時々、仕事をしたくなり、職業安定所に行って面接をしてくるのだが、いつも断られている。

 

考察

 

7種類の薬を1日3回も飲んでいたのでは内臓にかかる負担もバカに出来ない。その上、過食癖があり、自分でも105キロある体重をもてあましている。薬も過食も出来るだけ止める方向にもって行かなければ完治するのは難しいよと言うのだが本人は止められない。

 

しかし、過食のほうは本人も苦しかったのか、ダイエットビスケットを1日1食だけ食べるようになり3ヶ月で87キロになった。これにはたまげてしまった。体重が減ってから体調も良くなり近頃では仕事に行きたいと、さかんに言うようになった。

 

■多剤大量療法への疑問

 

私はかねてから、統合失調症の患者に対する多剤大量療法への疑問を抱き続けていた。

 

つい最近のこと、新聞を読んでいて興味のある記事を発見した。思っていたとおり進歩的な医師の間でも多剤大量療法への疑問があり、薬を減らす実験がなされたという.そこでとても効果的な結果が立証されている。私が書くよりもその一端を原文のまま載せてみよう。19年7月22日、読売新聞に載っていた記事である。

 

この記事を見ると、慢性の統合失調症の人が90%の確立で社会復帰している.はじめから薬を使わない治療法を進めていたならば100%の確立で治るのではなかろうか。

 

薬の副作用が問題になって久しいが、現場では日本独特の「多剤大量療法」が今なお幅を利かせている。


統合失調症・多剤大量療法からの転換

 

若い頃、統合失調症を発生した30台の女性は、茨城県の精神科病院に入院中、複数の薬を大量に処方され、ほとんどベットに横になっていた。主治医だった河合伸念さんが本人の同意を得て薬の量を減らし,「第2世代」の薬へと切り替えてゆくと、他の患者さんと歓談することが増え、「退院したい」と訴えるようになった。幻聴や妄想がぶり返す時期もあったが、薬の減量開始から2年半で退院。症状は残るものの、社会復帰施設を経て自宅に戻り、家族と元気に暮らしている。

 

段階を踏んで

 

すでに多剤大量療法になっている慢性期の患者でも、脱却は出来るのだろうか。筑波大精神神経科講師の河合伸念さんは、2003年から3年間、勤務していた茨城県の民間病院で切り替えに取り組み、多剤大量療法が1年以上続いていた患者23人のうち、20人で成功した。①まず従来の薬の量を減らす。②第2世代の薬に変える。③単剤にして最適な量まで減らす。―――というステップを踏み、症状の変化に気を配りながら、ゆっくりと進めた。

 

冒頭で紹介した女性は、CP換算3000㍉・㌘という超大量処方だったが、薬を切り替えると異性への関心も芽生え、意欲も高まった。

 

「失敗を恐れず、一時的な変化にひるまず、薬を減らすことを試みるべきだ」

と河合さんは強調する。

 

「患者が元気になる可能性」を持つ薬の副作用の転換。慢性期の患者の陰性症状とされてきた中には、第①世代薬の副作用がかなりあるという見方もある。社会復帰を促進する意味でも注目したい。


■朝青龍のうつ病について

 

はじめに彼がうつ病一歩手前だという報道に接したとき、そうなる可能性は充分にあると思った。

 

うつ病の成り立ち

 

彼のような身体頑健な力士がなぜうつ病になるのか、この成り立ちを私なりに解明すると次のようになる。


彼は優勝した。人気力士は優勝すると毎日祝勝会が、何軒もまっている。断りきれないことも多くあり、付き合いで顔を出す。


何日か、祝勝会をこなしてから、モンゴルに帰った。国家的な英雄の彼は、モンゴルでも祝勝会が何軒も待っており毎日のような宴会続きが待ち構えていた。そのような毎日が続いているさなかに、例のサッカー事件が起きた。相撲協会はかんかんに怒りすぐ、彼を日本に呼び戻した。そして罰則が与えられ、謹慎処分となった。ここで一気に彼の精神不安が高まった。

 

内臓の疲れ

 

この経過を見るとき、まず、優勝してから後、何日も宴会が続いている。彼のような力士は肉食中心の脂っこい食事内容の人が多い。朝から晩まで稽古稽古で汗を流し筋肉も内臓も健全であるときはよい。しかし、優勝してからは稽古もしない,汗もかかないで宴会続き、何十日も、そのような日が続いた場合、彼のような頑健な身体であっても、内臓がへとへとに疲れるのである。内臓が疲れきっているということは、精神的にも疲れているのです。

 

ストレスは怖い

 

皆さん、胃潰瘍という病気をご存知ですか、この病気は暴飲暴食よりも、精神的なストレスで2~3日でなってしまい、血を吐くこともあるのです。この胃潰瘍とうつ病は精神的なストレスが大きく病状に作用するという点ではよく似ています。稽古もしないで、宴会続き、内臓はくたくたに疲れ、精神的にも脆くなっている。このような時に、相撲協会の怖い理事会からの呼び出しにあった。自分の身に何が起きるか分からない恐怖感、そんな時、ふと怖いという感情がよぎったとき、その恐怖感は山彦のように反響して、何回も押し寄せ、増幅して、ますます大きな不安要素となります。内臓も精神的にも脆くなっている時一気にうつ病的な状態に落ち込んでしまうことは、大いにありうることです。

 

うつ病から脱却するには内臓を丈夫にすること

 

うつ病に追い込んでしまったら、そこから抜け出すのに何十年もかかる人が多いことは、皆さんよくご存知だと思います。相撲協会は彼をモンゴルに帰し、故郷で治療に専念する道を選ばせるようですが、これは賢明な処置だと思います。広いモンゴルで、お母さん手作りの料理(昔からある粗末な料理)を食べ、馬に乗って汗を流し、内臓を丈夫にすることがもっとも早くうつ病から抜け出せる道だと思います。病院に入院して、身体を動かせないで、汗もかかず、薬ずけの毎日を送るようなことがあっては、彼の力士寿命は終わりになるのではないかと思います。ご馳走を食べない、薬を飲まない、この2点を守ることが大切です。身体がだるく、動きたくない状態で,本人はとても苦しいのです。運動をするという心理状態にはとうていなれません。これは頭の中が混乱しているのです、身体が苦しいのではありませんから、無理をして少しでも運動することです。

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